研究に興味をなくしました

理系大学院生の日記みたいなものです。since20180425。

トイレのライトが人感センサー

 最近ツイッターでよく呟くのだけれども、ラボのトイレのライトが人感センサーなのでトイレ内で一定時間動かないと電気が消える仕様になっており、大きいのに集中していると電気が消えてしまい、便器に座りながらヘドバンするというみっともない行動をとっているのだけれども、これって自分だけなんでしょうかね。

 

別に自分に何か害があるわけでもなく、だからなんだって話だけれども、みっともないよなと思う。

続き

このブログを書きはじめたときは研究については書かないと決めていたのであるが、またその決まりを破って書いてしまおうと思う。

 

2週間前くらいに研究でかなり精神的に辛いことがあったのであるが、自分現状ではほとんど影響ない程度に研究に集中できている。その点はよかったと思うし、今後もこの調子で低空飛行でもいいのでどうにか修了まで持ち込みたいと思う(まぁ、昨年度はある程度は頑張っていたし、新規実験のため何かと成果になりそうな結果があるので余裕だと踏んでいるのであるのだが)。

 

個人的に思うところがある点として、優秀な後輩が博士に進むことをほぼ諦めてしまったことにある。自分が完全に悪いわけでもないし、どうしようもない感じはするのだが、研究を引き継いでくれる優秀な後輩が2週間前の一件でかなり精神的にダメージを受け、そのせいで彼の人生を左右するようなこと(研究の道に進むかどうか)をネガティブな理由により変えてしまったことがどうしても悔しくてたまらない。そこには、就職することを選んだことで研究を続けられなかったという一種の引け目や、研究に対しての尊敬の念があるからかもしれないし、だが自分がこの文章を書こうと思わせるだけの何かがそこにはあるのだと思う。

 

ちなみにその後輩についてだが、自分がかなり苦しみながら作った解析ツールと同様のツールをいとも簡単に1週間で作成できるプログラミングの能力もあり、研究の前提知識や付随する周辺の知識も十分に持っている学生で、以前は周りにもドクターに進む予定だと話していたらしい。自分が人を評価するほど偉いわけでは無いが、その後輩であれば研究の世界でも十分に活躍できるのではないかと思わせるセンスがある。

 

研究に対して今まで思い描いてきた研究像と実際の研究像が違うというのは当たり前にあることであると思うし、実際に自分もそうであった。自分がどうしても研究を行って成し遂げたいことがあれば研究をするという選択肢を選ぶのであろうし、就活なり他の選択肢と比較して自分の道を選ぶのであるのだと思う。後輩は研究を始めて1ヶ月も経たないうちにあまりにもインパクトの強く、自分の研究像と大きくかけ離れた像を見せられ、自分の進む道を変えようと考えたのであろう。

 

何を書きたいのかわからなくなってしまったのだが、環境が悪く人が離れていってしまうというのは勿体無いなと感じた。後輩の彼曰く、この環境であればいつまで経っても博士でこの研究をする学生は出てこないのではないか、と。良い環境、悪い環境とはどのような環境かという問いに絶対的な解は無いだろうけれども、少なくとも今の環境は悪いほうに当てはまるのであろう。

 

自分が将来仕事などで部下や後輩を持ったときは絶対に良い環境を作らなくてはとこの2週間で思った。

オタクが世界を作る

オタクこそがその世界の未知の部分を切り開くのだと、そう思う。自分は未知の世界を切り開くなんてできそうにないと感じるから、オタクな趣味を持った人を見るととても羨ましく思う。

 

例えばプログラミングとか。自分なんかは必要に駆られてやるタイプなので全くもって伸びしろがないと思うのだが、本当に好きな人は土日にでも時間をかけてやっている。やっぱりそういう人はオタクだなって思うのと同時に、彼らのような人がさらにその世界をより広げていくのだと思う。中身はブラックボックスであるけど、便利な道具としてオタクが使ってくれた道具をオタクでない自分みたいな人が使うのだと思う。

 

考えてみれば昔、それもかなりの昔は土器オタクとか、青銅器オタクとか、木の実オタクとか、漁法オタクとか、建物オタクとか、狩猟オタクとかそういう人がより便利な世界を作ったんだと思う。その延長線上に僕らがいる。

 

きっと、それまでのやり方とか真似ればそこまで苦労なく生きていけたとは思う。けど、オタク達が懸命に自分の興味関心でその世界を押し広げ、その結果として既知の範囲の拡大がなされ、便利な世界が生まれるのだろう。

 

そう思うと、この世界はオタクが作ったのだとも考えられないでもない。そう、ふと思った。

いま

いま自分が悩んでいる事なんて、未来の自分にとったら取るに足らない事なのかもしれない。いや、ほとんどの事が取るに足らない事であり、それらは過去の記憶となって、本当に大切な事は常に現在にしかないのだと思う。

 

先日の自分の書いたブログの記事を自分のツイッターに投稿し、さらにツイートでも様々思う節を記したのだけれども、何人かの友人がラインで直接連絡くれたりツイッターでリプライをくれたりと本当にありがたく思ったし、また自分が思い悩むのに関連するようなツイートも流れてきたので、修士2年間という問題は僕だけの問題では無いのだと感じた。きっと自分と同じような境遇になれば皆が一度は通る悩みとかそういうものであって、人によっては頭にさえ残らないような本当に本当に些細なことでしか無いのだと思う。ただ、それが自分にとっては深く思考するに値し、心に刻まれる内容であったのだと、そう思う。そんな中こうやって文章にして発信し、それを拾って何かしらのリアクションをして貰えるのは本当に嬉しくて、どうにか頑張って低空飛行、いや地に堕ちて這ってでもやり抜かなくてはと思う原動力となる。

 

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書くのを続けたいと思う。本当なら最近ネットでの話題とか、こないだのサッカーの試合(ウルグアイ戦)の感想とかそういうのをダラダラ書いて、のちのち見返したときに、「あの時はあんな事があったのか」とか思えるようにしたいとも思うが、研究の話題を書こうと思う。特に今回は研究室の話になってしまい、特定されない範囲で書こうとは思う。

 

自分の所属する研究室は比較的大きな研究室で、同期が8人いる。そして現在、1人が研究室に来ておらず、もう1人は研究室に来てはいるが、学生部屋に顔を出さずに実験室に籠っている。

 

まずは研究室を休んでいる同期の話から。自分は9月中休養を頂いて復帰したが、その同期は僕が復帰する少し前?(具体的にはわからない)から研究室に来なくなり現在も来ていないと聞いている。一度、彼に研究に関する事で連絡をした時は返事をもらったが、具体的にどういう理由で休んでいるのか分からないので、アプローチのしようがないというのが現状である。もしかしたら病気とか怪我なのかもしれないし、自分と同様に研究に対しての気持ちが入らないとかなのかもしれない。さらには今の自分には想像できない重大な何かがあるのかもしれない。いずれにせよ、今の自分にできることは彼に連絡とって、必要なら先生でなく同期の自分たちが何かしらサポートするという事なのではないのか。

 

もしかしたら彼は誰からかのリアクションを求めているのかもしれない。それは自分がこのブログやツイッターに想いを綴ることで誰かの目にとまり、リアクションをしてくれることを心のどこか奥深くで期待しているのと同じなのかもしれない。結局誰にも相手されず無関心という状態こそが人と人との関係を無にしてしまうのではないか。

 

次に学生部屋に来なくなった同期。その同期は就活で苦労し、結局未だに本人から卒業後の進路について直接話しを聞いていない。声をかけて聞きたいとは思うものの、やはり自分はそこまで苦労せずに就活を終えたので、そういう人がセンシティブな話題に触れていいのかと思う部分がある。この間、研究室の人たちと学食で夕食を食べる機会にたまたまその同期も同席して話をしたものの、結局その部分については触れられなかった。お互いに触れてはいけないものとしてそっとしているだけなのかもしれなく、話してみてば今までのなんとも言えない微妙な空気感が無くなるのかもしれない。

 

同期の仲間であるはずなのにどうしてこんなにもお互いに壁を感じているのだろうか。やはり人と比較して引け目を感じたり、羨んだり、そういう事なのかもしれない。実際に自分もそういう感覚に陥る事は無いとは言えない。それは自分の今思い悩む事を何もなかったかのように処理し先に進もうとする人に対して羨ましさとか嫉妬心を抱いてしまう。そしてそういう自分がいるのは事実である。

 

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自分の身の回りの人をみても、それぞれ思い悩み苦しんでいるのかもしれない。だが、その事実もいつかくる未来には些細なこととなりまた新たな大切な事を考えることになるのだと思う。

色彩のない日々と苦悩

昨日のことであるが、もしかしたら書き終わった際にはおとといのことになってしまうのかもしれないが、研究のミーティングでものすごく怒られるというのを経験した。それもスカイプでのミーティングで怒られるというのである。それまでであれば先輩や後輩の学生がいるわけではないので、研究ってなんなもんなのかなぁとか思っていたし、ただ、その中でも一応他の研究グループでも活動しており、少し理不尽な怒り方なのではないのかなぁと思っていたのだが、今回のミーティングでは4年生の後輩も同席しており、彼曰く「あれはアカハラに相当するのでは」と言っていたので、かなりひどい怒られ方であったのかもしれない。

 

そもそもどのような状況なのかというと、今の自分の研究テーマについては自分の指導教官も経験したことのない装置や技術を使うために、身近にいる人で実験装置や原理を細かく把握している人がいないという問題点がある。文献はあるけれども、そこまで研究の能力に恵まれているわけでもなく、そして研究に対しての情熱も無くなってしまっている自分が積極的に取り組むことができないでいる。そして実験について詳しく知っている人はスカイプで月に数回連絡する研究者しかおらず、その人に頼りっきりになっているというのが現状である。

 

そんな状態であれば必然的に「本来わかっている人がやらなくてはならないと考えている事」を全て完全に把握し「別に気にしなくてもいい事」と区別する事は難しくなってしまう。

 

そして、ミーティングで外部の研究者にものすごく怒られたのである。自分にとったら理不尽に感じるほどに。経緯としては、データ取得に関して必要なデータを取るのに問題になると考えられることが起きたので、その問題だと思うことをきちんと説明してどう考えて実験して問題解決のために調べたか話したのに、そんなのは関係ないの一言で片付けられ、実験で要求しているデータが示されていないと散々に言われた。そして、自分の何もかもが否定されるような感覚を味わった。

 

ミーティング中は頭に血がガッと上るのがわかるほどに血圧が上がり、そしてどうにか自分の考えていた事を言葉にしながら相手の意図している事を汲み出していくことで、今後やるべきことを洗い出し、少しは今後の研究の指針ができたのかもしれないが、それと引き換えに自分のやる気が地に堕ちてしまった。

 

ミーティングの後、4年生は「この研究を修士でやれる気がしないし、ドクターに進まない選択肢に大きく傾いてしまった」と言っていたし、自分自身の研究に対する姿勢とかが悪いせいで彼にそういう想いを抱かせてしまったのが不甲斐ないと感じる。

 

家に帰ってからは嫌な気持ちで眠れないし、吐き気を催し、気持ちが不安定になって深呼吸しないと落ち着かないし、もう精神的負担とそれに対する肉体的な反応が酷すぎて、「研究嫌い、辞めたい」とか「研究を一旦ストップする何かが起きないか」とかひたすら負の思考のスパイラルにはまってしまった。そして朝は起きれずにベッドの上で倦怠感と戦い、どうにか研究室に行っても結局何もしないでいるし、完全にマズイ状態になってしまった。この文章を書いている現時点でも胸が圧迫されている感覚があったりと酷いもんである。

 

結局僕はこの現状から抜け出すことができずそのままズルズルと続けて残りの3,4ヶ月を過ごすのだろうけど、やっぱり僕はこの理不尽に感じる精神的な苦痛を味わい続けなくてはならないのかと思う。憂鬱で色彩が失われた日々を送るのに甘んじてしまうのだと。

 

そしてそんな自分が不甲斐なく、なんて弱い人間であるのだろうと苦悩するのである。

考え続ける

良いこともあれば悪いこともある。そう最近思うことがあった。

 

研究に関しては、9月中に休養を頂けたのでかなりその間に自分なりに研究に対する考え方や姿勢を決めることができ、本当によかったと思う。また後輩が自分の研究を引き継ぐことになり解析ツールを自分で書いて研究の理解をしてもらったら、自分なんかよりもコーディングがうまいし、彼なら変なところでつまづくことなく研究そのものを楽しむことができるのではないかとおもう。自分の場合はゼロから研究以前の成果を出すための前提知識を蓄え、その上でグチャグチャで破茶滅茶な道具で成果をどうにか出してきたので、今ある程度自分が経験したことを彼に伝えられれば自分の使命は果たせたかなと思う。まぁ、結局はなんだかんだ研究はいい方向へと転んでいったということである。

 

また、9月に休養を頂けたことで、周りからも「こいつはそういうやつだ」と認識されるようになり、自分への研究の要求レベルが下がっている気がする。好きでないことを頑張るとなぜか要求レベルが上がり、さらに苦しむという負のスパイラルから抜け出せた。自分の周りの環境の変化もいい点である。

 

一方、悪いことは自分の身内が病気になり、結構病状が酷くなりつつあるという点である。こればかりは自分にはどうしようもないことであるが、やはりこの夏にあった時は元気であった人が病気になり、先日実家の方に帰った際にお見舞いに行ったが、その時からさらに悪くなっているというので心配である。

 

人生において特別でない状況というのはないのかもしれないが、修了のための論文も本格的に書いているわけでもなく、ある意味で宙ぶらりんでふわふわした時期に他に意識を向けなくてはならないことがあるというのは、9月に引き続きこれからの人生とかを考えるきっかけなのではと思う。

 

 

ポイントカードに囚われている

クレジットカードを含むポイントカードって魅力だよね。自分もTカードやらPontaカードやら楽天ポイントカードやら持ってます。他にもお店オリジナルのポイントカードやらスタンプカードを持ってます。財布がポイントカードで分厚くなるのでスマホのアプリがあれば導入しているけど、こないだとあるお店で楽天ポイントカードのアプリでは利用できません、カードでないと使えません、というお店があり、便利なんだか不便なんだかわからない感じになった。早く世の中の全てのポイントカードを統一したカードとかそういうアプリを作られないかな。まぁ、きっと様々障壁があるのであろうな。

 

けど冷静にポイントカードってせいぜい購入金額の数パーセントの還元率で普段の生活でポイント関連に使う金額が10万円だとしたら数千円である。それって飲み会1回行ったらそんなのぶっ飛ぶ金額であるし、時給1000円のバイトであれば数時間で稼げてしまう金額である。

 

というわけで話を戻すとポイントカードとかで稼げるのは使ったお金の数パーセントである。これを大きな金額か小さな金額かは人によるであろう。

 

そしてよく思うのであるのだが、ポイントを効率よく貯めるサイトとか書いている人を見るとそれを研究する時間とかあるなら投資とかの勉強をしながら投資資金を貯める方が賢明だよなぁと。全ての人がそうではないけど、そういう人を見るてポイントを効率よく取得する方法とかに時間をかけている人は囚われているのではと思う。