思考の記録と掃き溜め

日記みたいなものです。since20180425。

試される大胆さ

小学生の頃やっていたゲームといえばポケモンだった。ドラクエとかFFはやった事がない。いつかはやってみたいと思いながら現在まで時が経ってしまった。

 

ポケモンは赤緑青から始めてルビサファあたりが全盛期であった。その後も細々とはやっていたものの高校生くらいの時から長らくやっていない。3年前くらいにポケモンGOが配信スタートし最初の頃はすべてのポケモンが知っている状態であったが、最近はわからないポケモンも増えてきた。

 

今、書くのは小学校の時にやっていたポケモンの事である。あの頃のポケモンでは通常買えない道具というのがあった。代表的にはマスターボール、せいなるはい、ピーピーマックス、げんきのかたまり……他にもあったと思う。これらは通常のショップでは購入できない。

 

深く考えないで遊んでいた小学校低学年の時はこれらのアイテムを使いたい時に使っていた。珍しいポケモンだからマスターボールで捕まえる。いちいち回復させるのが面倒なのでげんきのかたまり使う。四天王4戦目前にピーピーマックス使う。こんな感じに普通に使っていた。

 

けれど、小学校高学年になるとなぜかこれらのアイテムを使えなくなってしまった。安全マージンを計算して常に回復アイテムを用意し、ハイパーボールも大量に購入し、事前にレベル上げも行なっていた。そして基本的には一度も負ける事なく四天王を倒していった。

 

僕の人生を振り返ると小学校高学年の時のような生活をしている。それは何かあったときのために事前に準備をして絶対に負けないようにする人生である。常に最善策を取れなかったときのために次の策を用意し、絶対に大きなミスをしないようにする。だから試験のために徹夜はしないように日頃から勉強していた。差し迫る危機を乗り越えるためにレッドブルを飲むこともしなかった。そうやって中学受験、大学受験、就職と先手先手を打って一応は乗り越えてきた。

 

けれど、自分の周りには迫り来る危機を様々な道具を使って乗り越える人がいた。中には正面から挑まず別のところから挑む人もいた。その危機と直面しないような人生を歩む人もいた。戦略的に諦める部分を作り、最終的には乗り越える人もいた。正攻法出なくても道具を使ったりして進んでいる彼らを見てきた。自分の中にある世界を図る物差しでは彼らの進み方というのが邪道に見えたり、時には逆走して見えたりするけど、それもそれでアリなんだと気づくのには長い時間を要した。

 

そして今、社会人として働いている。僕はそれまでの自分と同じく常に事前準備し、慎重に進めている。

 

けれど、いつかは訪れるかもしれないどうにも乗り越えられない壁にぶつかるかもしれないとも思う。その時、ここぞという場面だと判断し、限られたしかし強力な道具を使う事ができるのだろうかと思う。

 

社会人として会社で働くのはゲームと似ているのかもしれない。というより、人生というものはゲームと似ているのかもしれない。人生の中の小学校というゲーム、中学校というゲーム、高校というゲーム、大学というゲーム、社会人というゲーム……それぞれのゲームが入れ子に入っているようなのかもしれない。

 

そして小学校低学年の時の自分のような大胆さというのが必要とする時が来るのかもしれない。いや、どこかで来るのだと思う。必ず。

 

僕はその時が来るのを恐れている。

自己保身

まだ十分に細分化できていないけれども、自己を保つにはいくつかのフェーズがあると思った。一番低俗なフェーズは「怒る」、次が「自慢する」である。正直それ以降はよく分からないし、自分の中で細分化、言語化できていない。

 

この世の中で一番低俗な自己保身の手段は「怒る」であると思う。子供の頃、兄弟喧嘩をすれば最後には怒り泣き狂うことを自分がしていた。相手にどう否定されようとも、怒りというのは一瞬にしてそれまで積み上げてきたやりとりを破壊し、そして怒りという自分の理性というリミッターを解除した状態にさせる。大人になってもむやみやたらに怒る人というのは自分の弱さを悟られないようにしているだけだと思う。自己の保身のために。

 

「自慢する」というのは次のフェーズである。マウンティングという言葉が当てはまる。ある程度の社会性や人間性を身につけると「怒る」ことで失う物の大きさを認識し天秤にかけることができるようになるのだと思う。そして「怒る」に変わる自己保身の手段が「自慢する」だと。

自分の祖父母は田舎で暮らしていた。当時は新聞、ラジオ、人からのウワサが人々の話の中心であった。情報通は周りの人が知らないようなことを知っていることで、ある意味でマウンティングをしている。人に何か教えることは自分の方が相手よりそのことを知っている、すなわち優位な立場にいると。人々の楽しみといえば近所の住人の噂話であったのだろう。

現代ではフェイスブックとかインスタ映えだとかが自慢すること、マウンティングを行うことなのだろう。インスタとかは本当は良い写真を共有したいという想いでスタートしたのだろうけど、それは人に自慢しなくても自分を自分で認めてあげられる人にしか出来ないことなのだと思う。そしてそれらのサービスが一般の人々に広まって使われるようになった時、自己を認められない、自分の外に自分の存在意義を追い求める人がそれまでの噂話に取って代わってしまったのだと思う。

 

人はその人自身の内側、マインド(心とか頭)で自分自身を認める事が出来るようになると強い。人々は支え合って生きていくとは言うものの、自分自身を認めてそれだけでも十分に満たされている人が、さらに人と人との繋がりの中でお互いを認め尊敬し高め合う事が出来る方が良いと思う。決して相手を下に見て卑下して相対的に自分を高めることは良い事ではないと、そう思った。

変化する気持ち、心の持ちよう

今朝は仕事に行きたくなさ過ぎて肉体的にも精神的にも結構参ってしまったのだけれども、今日の仕事が終わって何となくもっと仕事ができるようになりたいと思った。残業はしたくないけどもっと内容を知って自信を持って正しいことを行えるようになりたいと。

 

まだ新入社員として知らないことの方が多いし、発言してもずれた発言や的外れな数値を算出したりするのだけれども、それでもこうやって分からないと苦しみながらもがき続ける先に自分が成し遂げたい目標への道を切り開くことができるのだと思った。

 

自分の人生を自分で決めて進んでいく事こそが自分を満足させることのできる唯一の手段であると思う。だから僕は自分の選択に対して否定はしたくないし、否定するとしてもそれは積極的に何かがしたくてそれまで積み上げてきたことを放棄するという形で過去の自分を否定することが望ましいのかなと。目先の辛さや短絡的な行動は最終的には自分の苦しみとして降りかかってくるのだと。

 

そう自分の心に言い聞かせながら暮らしていくことが自分を満足させることに繋がるのだと思った。

釧路行ってきた報告

釧路に行ってきた。以前から道東と呼ばれるエリアに対して憧れがあった。それは日本の中でも東の端っこであり(北方領土は除く)、気候が特殊で(夏にそんなに暑くならない)、飯もうまくて、自然豊かであるということが心に響いたのだろう。

 

実はこれら以外に釧路に行こうと思わせた要因がある。

どなたか僕の地元「クシロ」を救っていただけませんか - kansou

最初に読んだ時に「釧路に来てくれ」と頼まれた気がしていた。今がその時なのだと思いANAのタイムセールで安かった航空券を買い、レンタカーを予約し、ホテルを取って向かった。

 

釧路に到着してまずは昼飯。下調べして「ぶた福」の豚丼に決めた。普通盛りでも十分な肉の量である。880円。美味い。釧路空港到着してレンタカー借りたらみんな行けばいいと思う。

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そして釧路湿原へ。正直天気が曇りだと展望台からの眺めはビミョーである。

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湿根内ビジターセンターから続く遊歩道は天気が悪くても十分楽しめると思う。自分は楽しめた。もしかしたら天気が一瞬良くなったからかもしれないけど。みんな行けばいいと思う。

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夕飯は「回転寿司 まつりや 木場店」でいただいた。一人席(カウンター)もある。オススメされているものすべてうまそうだった。実際うまかった。最初に食べた寿司の写真以外を撮り損ねるくらいうまかった。みんな行けばいいと思う。

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夜の釧路の街は淋しさしか感じなかった。広末町が繁華街で釧路駅前は絶望的に何もなかった。あぁ、これがあのブログの意味するところなのだと。

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朝は和商市場で勝手丼とやらを食べた。観光地価格だと思ったけど、この街にお金を落とさないと釧路を救えないと思い食べた。うまかったから良しとする。みんな行けばいいと思う。

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ホテルでチェックアウト時刻までグダグダして鶴公園に行った。タンチョウを見た。タンチョウが鳴いているのも目撃できた。470円するけど、タンチョウ保護するためのお金だと思えばそんなもんかと。みんな行けばいいと思う。

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昼過ぎの便で帰るために空港へ戻った。空港には動物のモニュメントがあった。やっぱりこの地域は自然が豊かで、それを売りにしているのだと感じた。多くの人に見に行って欲しいけど、環境を破壊されてしまっては意味ないから人が来すぎてもなと勝手に考えていた。自分みたいに誰かの記事を読んで行ってみたくなった人が来てお金を落としてくれればいいと思う。

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それでは。

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不労所得で生きていきたい

不労所得で生きていきたいと思い様々調べた結果、インデックス型の投資信託ETFでの資産運用以外は現実的では無いと感じた。

 

手元にあるお金を用いて不労所得を得たいと思う。社会人になってすぐ直面した企業型年金の積立金の話もある。だから資産運用について調べた。以下

  1. 個人のお金の流れについて
  2. 「資産を増やす」について
  3. 投資について

について書いていく。

1. 個人のお金の流れについて

そもそもある個人に対してのお金の流れというのは大きく見ると「入ってくるお金(収入)」と「出ていくお金(支出)」がある。そして自分の持っている資産について月ごとに管理すると

(今月の資産)+(今月の収入)ー(今月の支出)=(来月の資産)

となる。

「資産を増やす」なら「収入を増やす」か「支出を減らす」かすれば良い。単純明快である。お金を使い過ぎれば資産を崩す事になる。

2. 「資産を増やす」について

ここで資産を増やすという点で話を進めると「収入を増やす」か「支出を減らす」の2つの方法がある。「支出を減らす」については無駄な物を買わないだとかすれば良い。個人的にはPayPayとかのポイント還元もこっちに入る気がする。還元されたポイントは基本的に現金化できないようだし(間違っていたらすみません)、1年というスパンで見ればそれは最終的に使用してしまうからである。ここにはPayPayで得たお金は99パーセントPayPay内で使用されるという前提がある。

収入の増やし方については単純に考えると労働をするというのがある。最近では副業だとか話題であるし、一番わかり易い。

他にも宝くじを当てるとかも収入を増やすなのかもしれない。これは収入というより資産運用の投機というやつな気がするが。

そして資産の増やし方として投資というのもある。色々な投資関連の本を読んだが、「お金に働いてもらう」という事らしい。

3. 投資について

投資について書く前に、資産運用は大きく3つのフェーズがあるらしい。貯金、投資、投機。リスクが一番小さいのが貯金、一番大きいのが投機。中間が投資なのかなと思う。あくまで個人的な感覚だけど。

貯金はわかり易い。銀行に預ける。それだけ。最近はちょっとだけの金利によって少しだけ増えたりする。

投機はギャンブルとかというやつ。カイジの世界。その世界のプロの人なら投機じゃなくて投資になるのかもしれない。カジノのゲームのほとんどが投機であるけど、ポーカーだけはプレーヤーの実力で勝ち越せるゲームらしい。確率の計算とか本気でやれば勝てるってよ。

そして投資。一番わかり易いのは株とかかな。FXは投資とも投機とも言えるらしい。ある人は「投資とはトータルの価値が長期的には上昇するもの」と言っていた。よく知らんけど。

そしてその投資というものが企業型年金とかいうやつで出てくる。大学卒業までにまともに教わっていないのになぜか入社後すぐに積立金の分配について自分で決めなくてはならないとか言われる。不可思議だ。

さて、この投資信託については「貯金?、債権、株式投資(国内、国外)、リート」といったものが選択肢にある。さらには株式投資についてはインデックスだとかアクティブとかある。インデックスとはTOPIXとかと同じように資金運用し、アクティブはインデックスを上回るように資金運用する。正直ここら辺で説明が複雑になり説明会の時に大抵の人が理解するモードから離脱していた気がする。そして便利なことになんとリスク許容度診断でAIが最適な積立金の分配率を提示してくれる。周りを見ているとそれに則って記入して終わる人が多い気がする。

自分も最初はAIが提示した割合で積立金を分配したが、どうやら本を読んで知識を身につけていくと、数十年のスパンであればインデックス運用がよさげな事を知った。ぱっと見はアクティブ運用の方が良さそうだが、それには多額の手数料を取られ、また運用実績も“常に”インデックスを上回ることはほぼないらしい。考えてみればアクティブ運用がインデックス運用よりも優れているならばインデックス運用が無くなるはずである。本来ならばアクティブ運用が無くなるべき存在なのだろうが、資金運用する会社の人が生活するのに必要だから残っているのであろう。

リーマンショックとかの際には貯蓄や債券よりも資産が減るがそれでも数十年というスパンで見れば一番良さげである。

 

最初は会社の年金制度が入り口で様々調べたが、不労所得で生きていくために会社の積立とは別に資産運用をしようと思う。

どこかにマイルの土日利用の難しさ

学生時代から溜め込んでいたJALマイルを社会人となった今使ってやろうと思い立ち「どこかにマイル」で検索をかけてみたところ、土曜朝発日曜夕方以降着で検索をかけるのだけれども、沖縄(離島を含む)や札幌が出ない。検索でヒットするのは1日3便程度しか飛ばない路線ばかりであり、それはそれで時刻の検討はしやすいものの、思ってたよりも限られた選択肢しか出ないと感じる。特に徳島、大分、宮崎は選択肢に出すぎて名所や名物を覚えてしまった。

 

というわけで「どこかにマイル」の土日利用はあまり現実的でないと思った。JALの立場からすると用意していた特典航空券の分の座席を余らせることなく、かつマイルを利用者に使わせることができるのでとてもうまいキャンペーンなのだと思った。また、4カ所からランダムに選ばれるというギャンブルのような要素であるので心理的に利用するハードルを下げれているのだと思う。

 

また、ヒットする路線についてはJALの特典航空券の空き状況の二重丸がついている便のみであり、すなわち15席以上の特典航空券分の座席が残っている便のみであると思われる。だから3席程度空席が残っていてもその路線は検索にはヒットしないし、要するに余り物を安く割り振っているのであろう。

 

というわけでどこかにマイルの土日利用、特に土曜朝発日曜夕方以降着の利用は僕が想像するような魅力的な商品にはなっていないのである。土日に利用するなら普通に特典航空券取った方が満足度高そう。

マインドセット

通勤では3つの路線を使う。そのうち2番目に使う路線は端から端まで、すなわち始発駅から終点駅まで乗る。その間に文章を書いてみようと思う。

 

ゴールデンウィークが終わり、日常へと引き戻されてしまったのだが、今朝は本当に仕事行きたく無いという気持ちになった。というよりもこのまま休みが一生続いて欲しいという思いであった。憂鬱な気持ちの中仕事に向かい、ある程度時間を過ごせば朝に感じていた気持ちを忘れやらなくてはならないことをやるのみとなるのである。

 

そんな中今朝の電車の中でふとマインドセットという言葉が頭の中でグルグルと巡っていた。自分の気持ちを自分でコントロールできればどんなに世の中楽しくなるのだろうかと考えていた。「心技体」という言葉があるが、やっぱ心が一番最初にあるし、「病は気から」とも言われるくらいに心や気持ちというもの、すなわちマインドというのは大切なのだろう。

 

マインドやマインドセットという言葉は様々なところで聞くし、「大学生としてのマインドセット」「就活生としてのマインドセット」「社会人としてのマインドセット」と、ある組織に所属したら持ち合わせるべき心構えとして長きに渡り教えこまれてきた気がする。

 

ここでふと思ったことがある。「『マインドセットは簡単に変えられる』というマインドセット(Aマインド)」と「『マインドセットは簡単に変えられない』というマインドセット(Bマインド)」の人が半分いたとして最終的にどのくらいの割合に収束するのだろうか。仮に一定期間後(1年後)にAマインドからBマインドに変化する確率をp、BマインドからAマインドに変化する確率をqとするなら、A_n,B_nをそれぞれn何後にA,Bマインドに属する人の割合として次の漸化式を解けば良いことがわかる。

 

A_n+1 = A_n*(1-p) + B_n*q

B_n+1 = A_n*p + B_n*(1-q)

 

あとはテキトーに高校数学でも適応させれば世の中にどれくらいのAマインドの人とBマインドの人がいるのかわかるのである。

 

終点に着いてしまったのでここまでにしよう。ちなみに僕は紙とペンがないと具体的な計算ができない。